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ザイケイちゃんの脳みそ

罪刑法廷主義ちゃんの日々思ったことを書き留める脳みそです。

がんばれない

罪刑ちゃんのおしり

わたしは、がんばるのが苦手だ

 

「がんばる」という、自分に負荷のかかる状態に身を置くのが苦手だ

 

でも、「がんばる」ことをしないことで、わたしの心臓には、罪悪感の剣がぶっすりと刺さりぬけなくなる

 

そのせいで、わたしの心臓は動くたびに軋み、血がふきでる

 

罪悪感の剣を抜くためには「がんばる」しかない

 

「がんばる」ためにはがんばらなければならない

「がんばる」と、剣が刺さったままのわたしの心臓はさらに軋み、胸がいたくなる

 

だからわたしはがんばれない

 

がんばれば楽になるのがわかっていても

がんばったときの痛みがつらいから

 

そうしてわたしの心臓は黒ひげ危機一発みたいになりながら

軋んで血をふきだしながら

動いている

 

何が足りない

罪刑ちゃんのくつした

芸人ならスピードワゴンがいる

アイドルならボイメンがいる

バンドならカナブーンがいる

市長なら河村がいる

アスリートならイチローがいる

先生なら林修がいる

ゴリラならシャバーニがいる

城ならシャチホコがいる



何かが足りない…



会社ならトヨタがある

食べ物なら小倉トーストがある

空港なら中部国際空港がある

テーマパークならレゴランドがある

動物園なら東山動物園がある

水族館なら南知多ビーチランドがある

重要文化財なら赤レンガ倉庫がある



何かが足りない…



足りないのは街か?

我々か?


語彙力という手足

罪刑ちゃんのおしり

「教育とは語彙力である」

本屋に行ったとき目についたこの言葉がずっと頭に残っている

語彙力っていうのは、現実世界でいう、筋力だったり柔軟性だったり、体を自由に動かすちからだとおもう

最近ダンサーさんと一緒に何かをする機会が多く、彼らの身体の選択肢の多さに驚く

彼らは的確に見せたい身体をつくり、イメージ通りの動きをして、怪我をすることだってない

言葉を的確にあやつる人と彼らはいつもかぶって見えるのだ

ダンサーさんは美しい

語彙力のある人もまた美しい

ああいう人間になりたいなあと思った

 

与えられるだけじゃなく

罪刑ちゃんの鼻先

「画面の一歩外を想像するのがとても巧い」と言われていたひとがいた

 

新宿駅の画像を題材にした俳句が
君がおいてったマスクの丸みかな、みたいな俳句だった

 

つまりは、喫茶店に入っていて、席を立つ時に彼女が外していったマスクに彼女の丸みが残っている、という句だそうだ

 

うろおぼえで何がそんなに良かったのかはわからないが、わたしの心にのこったのは、「画面の一歩外を想像する」というとこだった

 

与えられたモチーフの一歩外で、もしかしたらこういうドラマがあるかもしれない!と想像するのは、とても尊いことじゃないか、とおもったのだ

 

そういう想像力は、とても人生を豊かに楽しいものにするとおもうからだ

 

与えられるもののみを楽しむのではなく、その一歩外の可能性を楽しんでいきたいとおもった。

一年の計は元旦にありて

罪刑ちゃんの鼻先

一年の計は元旦にあり、という
一年の計画はその元旦に立てるべきという意味だ


でも、一年の予定ってなんだろう
明日の予定だってロクにわからないわたしに一年の予定なんて未知の領域だ
今から365日後の自分がどうなっているかなんてわからない、未来予知でもしろということなのだろうか


そこまで考えてわたしは、最近聞いた言葉を思いだす


「賢さとは自分の現在地を知ることだ」

 


…つまり予定を立てるということは、「自分の現在地を把握」し、その上で、「自分の目的地(あるいはむかいたい場所)に向かう道筋を考える」ということなのか?


す、すごい
みんなこんな事をしているのか!
なりたい自分をしっかり見据え、そこに向かってあるいているのか!


明日のことはわからない、っていって、毎日をただ毎日のまま生きていたわたしはとんだばかじゃないか!

 

これが賢さか!
すごい、すごいぞ!

これからは、わたしも予定立てよう!
スタートとゴールがわかっていれば、あとは頑張るだけだものね!!
予定、立てよう!
365日かけてなりたい自分をお正月に考えるのだ!!

オリジナリティなどないけれど

罪刑ちゃんの鼻先

オリジナリティなど存在しないと言う
現状の組み合わせでオリジナリティを作るのだと


でもよく考えたら気づいた

 

私たちが使ってるこの言葉にだって微塵もオリジナリティなんてないじゃないか


オリジナリティの微塵もないこの言葉を組み合わせて、オリジナリティを生み出しているんじゃないか


私たちの存在のもととなるこの体だって、オリジナリティなんて微塵もないじゃないか


私たちは普遍性でできている!!!


そう思えば、自分が平凡なことなんて、微塵もきにならない


オリジナリティなど微塵もないこの平凡な存在から、オリジナリティを生み出せばいいのだ!


みんなそうなんだ!

 


ああ
ゼロから立ち上がることのたのしさよ

 


平凡からからだで、非凡として立ち上がって、特別へあるいていくのだ!

わたしのあたま中で、「好き」っていうのが「尊敬している」とほぼ同義な話

罪刑ちゃんのおしり

「好き」

って難しい感情のようでいて

 

私が人を好きかどうかを判断する基準って、

意外と単純で、

 

「その人を尊敬できるか」

 

で成り立っていることに、気づいてしまった

 

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尊敬できる、というのは

相手が、私の持ち得ない特技や徳の高さを持ち合わせてるときに抱く感情で

私はクズ人間で基本的になにも持ちあわせてないので、

基本的に周りの人間が誰でも、尊敬に値する!
つまり、誰に対しても「好き!」という気持ちになっちゃう、、、 

 

 

 

知り合いの先輩さんが

「後輩という人種が好きになれない」

と言っていて、

その「好きになれない」も「後輩を尊敬できない」と言っているに近いのだと気づいた

だから後輩苦手な人が多いのは、意外と普通の感情なのだ!

すごい!

 

あと、「誰も尊敬できない」と言っている後輩くんがいて、

さぞかし後輩くんは自分一人で何でも出来て、周りの人の自分より勝っている部分を見出せず、

愛を知らずに孤独に生きているんだなあ、と考えたら、

うすぼんやり哀しくなっちゃった・・・。

後輩くんも「俺は愛を知らずに生きてきたんですよ」といっていた・・・

なかなかのポエマーなのでザイケイちゃんはとてもその後輩が好き

 

つまり、その後輩のポエムパワーが尊敬に値する、

だから、好き、

そういうことだ~~~~~!

 

 

そう考えると

「お互いを尊敬し合えないカップルは破局する」

という、いまや一般論となった格言は、

本質を応用なのかのように論じているような

変なきもち

 

にわとりがさきかたまごがさきか・・・。

 

 

ogawakenji.blog.jp