ザイケイちゃんの脳みそ

罪刑法廷主義ちゃんの日々思ったことを書き留める脳みそです。

ゴーレム効果

わたしは自分が好きではなくて、だめなやつだとおもっている

 

でもそれを口に出すことはない

 

例えそう思っていても、思ってしまったとしても、口にだすまいと決めている

言葉に出すと、そうなってしまう、から、言葉にはしないのだ

 

言葉には力がある

世界に意味を与える力がある

世界を切り取って定義する力がある

 

 口から出る息の音が、意味を持つのならそれは、もうわたしから離れて独立した世界である

 

自分が嫌いだと口に出すことは、世界から否定されること

自殺だ

 

どうしても、どうしようもなく死にたくなったら

好きだ!

と声に出してみると

案外気が晴れたりするものだ

大丈夫

明日になっても、変わらず世界はここにある

 

デフォルトを上げる

自分はぼっちで、負け犬だと思っている

10年続けたテニスで上の大会に上がれたことはないし、高校まで友達だと呼べる人はいなかった(ぼっちなのは色々な原因があると思われるがここでは置いておく)

 

初戦敗退で他のやつを応援したり、弁当を一緒に食べる人がいなくて、真っ暗な部屋でひとり泣くのが自分のデフォルト

 

勝ちたければ、ぼっちで泣きたくなければ、そのデフォルトを上げるべきなのではないかと思う

デフォルトというのは、自分の、意識しなくても落ち着く位置ということだ

自分の歩くスピードと言い換えてもいい

 

歩いていても勝てる/友達ができる人

それに対して自分は全力で走らないとそれが出来ない

能力や経験値が足りないのだ

 

デフォルトを上げるとは、基礎体力を上げること

勝つ/友達がいる状態を、自分の「普通」にすることだ

 

そうしてデフォルトを上げていけば、全力疾走と同じスピードが歩くことで出せるようになるんじゃないだろうか

 

まとまりなくなったのでここで終わります

 

こぼれる

雨が降っていた
だから傘を持ってきた
そんな当たり前のことを考えるようになったのは、最近のことだ
さらさらと砂が流れていくように、記憶がこぼれ落ちていく
自分が何をしているのかわからなくなっている
決まったルーチンの中で生きて、毎日同じようなことばかり
まるで機械のような、なんてものじゃない
決まった法則で動く、粘菌のような
思考なんて消えてしまって差し支えないような、そんな生活
けれども片隅に残る感情が、知らず知らずに悲鳴をあげる
線路に吸い込まれそうになる

死んではいけないと、書き込まれたプログラムがわたしを止める
死んではいけない
生きなきゃいけない
なんのために?
だれのために?
わたしのために?
僕らは物質 遺伝子の乗り物
タンパク質のかたまりであるわたし

感情は いる?

 

溺れる

プールに行きたい

シャワー室の中でそう思った

共同のシャワー室の中には棚がなくて、床に置いたシャンプーを取ろうとした

花粉症でつまった鼻の奥がつんとした

なつかしい?

そのとき急に溺れそうになった

プールだ

プールで水が鼻に入ったんだ

クロールで25mを泳ぐ

ターンをする

そのとき鼻の奥がつんとするのだ

そしてそのまままたクロールして

端についたときには息も絶え絶え

溺れそうになりながら地上に上がる

鼻はつーんとしたままだ

顔を上げて天井をみて

鼻をつまむと電灯が見えて

いっぱいホコリ積もってるな

そのうちだんだんおさまっていって

前を向いたら白いかべ

そうだ、ここはシャワー室だ

なんだか無性につらくなった

 

一部屋4人の寮生活

息継ぎ出来ないこの生活で

いつか溺れてしまうだろう

 

水の味がする

 

 

 

 

ギルティオアノットギルティ

この間「君が嫌なことをしちゃったね。ごめん」と彼は謝っていた。

しかし私は謝られたことがよくわからなかった。
私から見たらその事実は悪いことかもしれないが、私にとって謝罪されることは何も喜ばしいことではなかったのだ。

私は彼が道徳に反する行為をしたことには少しばかり心が痛む。

しかし私に謝られても仕方がない。


多人数の人間が決める
社会のあり方
思想
概念


そんなものを道徳というのならば、彼にとってそれは道徳を反するに値しない行為であったのだろうか。

先をゆく人に

彼氏が途切れたことのない女子高生と、今まで恋愛経験のない女子大生

彼女は、彼女の方が私より先に行っていてすごいなあということを言っていた

それを聞いて私の中では「違う人間なのだから先に行く行かないなんてないんじゃない?」という感想が自然に浮かんだ

 

私が劣等感を抱きにくい人間なのかというと、そうではない

むしろ女子大生の彼女よりも自己評価は低く卑屈なくらいだ

ならばなぜそんな感想が浮かんできたのだろうか?

自分の胸に手を当て問うてみる

自分が彼女と同じ状況なら、同じことを言っただろう

他人事だから、そんな感想が浮かんだ気がした

 

でも、他人事というのはつまり客観視するということだ

これを自分に適用できたら、もう卑屈にならずにすむのじゃないだろうか!

これは画期的な発明だ!

 

とここまで考えてテンションが上がっていた

きっと色んな自己啓発本で言われていることなのだろうけど、自分で実感するのは大事ですよね。

 

 

がんばれない

わたしは、がんばるのが苦手だ

 

「がんばる」という、自分に負荷のかかる状態に身を置くのが苦手だ

 

でも、「がんばる」ことをしないことで、わたしの心臓には、罪悪感の剣がぶっすりと刺さりぬけなくなる

 

そのせいで、わたしの心臓は動くたびに軋み、血がふきでる

 

罪悪感の剣を抜くためには「がんばる」しかない

 

「がんばる」ためにはがんばらなければならない

「がんばる」と、剣が刺さったままのわたしの心臓はさらに軋み、胸がいたくなる

 

だからわたしはがんばれない

 

がんばれば楽になるのがわかっていても

がんばったときの痛みがつらいから

 

そうしてわたしの心臓は黒ひげ危機一発みたいになりながら

軋んで血をふきだしながら

動いている